昭和41年08月04日 夜の御理解
見かけは悪いけれども、食べてみれば美味しい、と云う様な物が御座いますですね。その食べて美味しい物が、見た目にも見かけにも、いうなら食べにゃおられん様に、見ばえて良かったりしたら、是が本当の鬼に金棒だとこう思うんですね。椛目の信心を頂かれる方達は、まぁどちらかというと中身は立派だけど形が、見かけが悪かと言った様な感じが致しますです。こりゃ本当に自分がそこんところを、日々が改まりと云う所、内容的には中々改まりが出来ないのですけれども、形の上には是ではいけんと。
私今日はあのぅ、御神前に出らせて頂きましたら、あのご心眼に、あのまぁ、合楽の住宅の方がもう綺麗に出来て、まぁいうなら、こう何ていうですか、あの移転しておる様でした。そしたらあの、誰かが玄関に出て見えられましたら、あの光昭がやっぱりこげなん紋付袴を付けてから、誰かがもしもし言いよんなさいます。それから内玄関の方へ出て行ってから、あの敷き段の所に手を付いて、いらっしゃいませ。
何ともいえんその要領っていうですかね、形であの言っておる所を頂いて、その御心眼の中に素晴らしいなぁ良いなぁとこう思うたんです。ですからもう本当に裸んばらで誰じゃろうかとこうして見て、あっお客さんじゃったと、慌てて着物を着て出るというよりもですね。出る時にも本当にこう、いうならまぁ紋付袴付けてと云う事は、まぁ奉仕者の姿と云う事で御座いましょうけれども、あのそういう形のものがですね。
中身が立派であると同時に、形も段々整うて来なければ、あの御造営と云う事はいうなら、まぁ形が整うて行きよる訳で御座いますから、その中に住む私共も、矢張り形が整わなければならん。同時に、まぁそこに例えば住まわせて頂くというと、一段と自分達の信心の内容を、もちろん進めて行かなければならん事はもちろんです。今日も私思うのに、内容の事によって神徳を受けんならん。その見かけ。形によって人徳を得られる事が出来ると私は思うですね、ある程度。
ですから『神徳を得よ、人徳を受けよ』とこう仰るので御座いますから、矢張り自分が人徳を受けたいと思うならば、いわゆる見かけなっとん、形なっとんようせにゃいかん。所がその、見かけはよかばってん、中身が悪かではいけんのですけれどもですね。そこんところを、自分というものを本気で、あの見極めさせて貰うて、その内容にも触れて行く信心にならなければいけません。所が中には、内容も汚いなら見かけも悪かっちいうともありますけん、こりゃもうどんこんしょんなかですね。
信心の内容もない。見かけも悪かっち。それじゃもう。やっぱし多いんですよ実を言うたら。あの人の信心は素晴らしい。けれども、私そういう意味合いでですね、こりゃもう何時も思うんですけれども、あの竹内先生当りの様な生き方ですね。もうそりゃ本当にあの、まぁどういう、いうならばあの、自分の目下の者であろうが、信心の程度の低い者であろうがですね、もう実にそれこそニコニコと会釈されるですね。
その最敬礼の様な礼をされますですね、挨拶される時でも。それでもう、例えば形の上に、勿論内容が、自然ああいう風になって来るので御座いましょうけれどもですたい。まぁ椛目の、こりゃ御縁を頂いておる方達の一つの中でも特別の一つの見本だと、内容はですね、あの人の様な信心をと言う様なのが幾らもあるですやっぱり、私が感じておる、知っておる所だけでもですね。
けれども、ほんにあの人が形のあそこも、改まったら良かばってんと、あの人は言葉使いを改めるとよかばってんとか、と言う様な、そのあるんですけれど、そういう意味合いで、足ろうておられるような気がする。矢張りあの、もう見かけも食べにゃおられん様な感じ。食べて見たらなお、美味しかったと云う様なですね、私は所にも椛目の方達もぼちぼち精進して行かなければならないのじゃないかという風に思います。
どうぞ私こそ、見かけも悪か、中身も悪かと言う様な事はなかろうか。本気で一つ、形も中身も足ろうてでけて行かなければなりません。中々中身というものはその、まぁある意味合いでは、そのただ精進どんで出来るこっちゃ御座いませんけれども、形の事は精進させて頂こう、という位な事でです、勤めさせて頂きゃ出来ん事はいと思うですね。
どうぞ。